2007年08月09日

山国荘園調査

いやぁ~なんだかんだで更新が遅くなりました。スイマセンでした。
6日に京都から帰ってきてすぐに仕事でバタバタ…しかも!
ありがたいことにプライベートと言うか趣味関係でも少々忙しいこともありで、
すっかり更新が遅くなってしまいました。

さて以前も書いたように
8月5~6日の1泊2日で、京都市右京区京北地区
平安時代末期から存在した皇室が所有した荘園、丹波国桑田郡山国荘
(やまぐにのしょう)の調査に参加してきました。

この調査、元々中央大学の坂田聡教授を中心に1997年からずっと
行われているものです。私は1998~2002年まで参加していたので
今回は実に5年ぶりの調査参加になります。

さすがに5年ぶりに参加ともなると調査のメンバーはすっかり替わっていて
誰が誰やら分からずすっかり浦島太郎状態でした。
ただ調査場所である山国荘の風景は、自分の学生時代とまったく変わってなく、
豊かな自然をそのまま残していて少し安心しました。


山国荘は、京都市右京区とある(私がお世話になってた頃は、京北町だった
気がするけど、いつの間にか町村合併で京都市の一部になってた…)ので
都会のイメージがありますが、いわゆる田舎の懐かしい日本の風景が広がる
林業が盛んな山村です。

元々、天皇家が所有する皇室領荘園として成立していた訳ですが、
京都へ流れる桂川の流域にあり、その川の流れを用いて京都へ杉や檜
といった材木を供給する御杣(みそま)としての役割がある荘園です。
材木を筏として組んで流している様子は、さぞや壮観だったと思います。
ちなみに今の時期は、桂川の鮎釣りが観光名所?になっています。


また皇室が二つに分かれた南北朝時代には、北朝側の荘園として
戦火を逃れるためのいわば避難所としての意味合いもあったそうです。
それ故か、この山国荘に当たる所には北朝第1代目の天皇に当たる
光厳天皇(こうごんてんのう)(1313~1364)が創建し、
晩年を過ごした常照皇寺や光厳天皇の御陵でである山国陵、
光厳天皇の御子孫に当たられる後花園天皇の御陵が存在しています。
常照皇寺の勅使門です。寺内には光厳天皇木像や見事な八重桜があります。


調査自体は、文書をお持ちの皆さんの暖かいご理解もあって非常に順調に
進みました。私自身は役に立ったのかいささか自信がありませんが…(^_^;)
個人的な感想としては、久しぶりに日本史研究に携わる仕事をして
今の仕事との違いや研究に必要なスキルを失ったブランクを痛切に感じました。
大学時代の仲間や岡野先生には研究に戻ってこいとの激励をもらいました。
少しずつ暇を見つけて勉強していきたいとは思いますが…
とりあえず、論文集の原稿をしっかり仕上げることができるように頑張ります。

最後にひっきぃちゃんには、懐かしい建物を…
調査の場所として使わせていただいた集会所です。

  

Posted by マンダレー at 23:27Comments(4)TrackBack(0)日記